no sanction journal #2 – Fragments of memory

生み出す苦しみ。ひたすらパソコンを見つめ、書いたものを消し、そしてまた書く。

日本語で書いた戯曲を英語に直し、英語で上演する。

ずっと対話形式で書いてきたものが、独り語りの形式になってから今回で5本目。

とは言ってもやっぱり癖は抜けず、独りなのにダイヤログな形で書いてきた過去4作。

毎年、世界中から参加するアーティストの作品を観たり、彼らの話を聴きながら独り芝居とは何か、独り芝居で出来ることをずっと考えてきた。

そして今回の「no sanction」は初めて完全なモノローグ形式の戯曲。

パントマイムのような動きに頼らず、また映像や字幕なども一切使わず、完全に英語だけで50分の世界を創る作業。

世界的にはStorytellingともTrue‐lifeとも言われるジャンルで確立されており、Monologueは演劇作品だけでなく映画のオーディションやビジネススキルとして絶対条件になっている。

日本では観る機会も少なく、そもそもMonologueやMonodramaを専門に作品として上演している人はほとんどいない。

ひとり芝居だとイッセー尾形さんや坂本長利さんの土佐源氏が有名だけれども、世界中のfringeやフェスで上演される一般的なMonologueとは違う。

昨年観た「This is not culturally significant」や、2015年のworklight theatreの「labels」は本当に衝撃だったし、これまでに観てきたどんな作品よりも斬新で圧倒的なパワーを感じた。

そんな作品は残念ながら日本では観たことがないし、そもそもそういった作品が上演された形跡もない。

昨今ビジネス界ではストーリーテリングの重要性などと言われ、様々なコーチングなどが行われているようだけど、果たしてStorytellingやMonologueとどれほど深く向き合った上でのことなのか。是非ともコーチングしてほしい。

 

とにかく「no sanction」はあくまで演劇として、Contemporary Theatre Play として上演します。

ある男の、半径数メートル内で起きた出来事。

(以下、チラシの裏に掲載されるイメージコピー)

 

“A girl jumped off the roof of her school.

She could not decide what to do after graduation.

Her class teacher said she did not show any sign of it.

 

A crying pop idol faced the press to apologise.

He forced a minor to kiss him.

He said he was too drunk to remember it.

 

A naked kid was found dead in a bathtub.

It appeared to have been locked in there for 5 days.

Its young parents said it was a part of upbringing.

 

No one judge, then I judge.

In the country of peace and wealth, I am the person of anonymity.”

 

これまでずっと大切にしてきたザラつきと、グラデーションのかかった限りなくグレーな感じを一人の男の独白として描く。

産みの苦しみはまだしばらく続きそうだけど、確実な手応えを感じつつ筆を進める日々。

 

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